2022.12.28(水) 『ここだけの話』
現状の私を言い表すなら「休日に絵を描いたりしてるフリーター」だ。
学生時代バイトを経験してこなかった私は就活時期に「仕事をする理由がわからない」という理由で就活を全くしなかった。就活をしない自分に焦りさえもしない極まった阿呆だった。
専門学校卒業後は無事にニートである。
母子家庭でまだ学生の妹も居たが、2年ほどニートをした。その間母は私がニートである事を怒ることは無かった。後々聞いたが母曰く「あんたは自分が納得しないと納得しないから」らしい。そんなに頑固な自覚も無いのだが、この言葉を聞いて妙に納得したことを覚えている。
2年のニート生活で自己肯定感は地の底にまで落ちていた。さすがに何かしなければとスマホをいじりバイトを探していたら、中学校でお世話になった職場体験の実習先を見つけた。自転車で行ける距離だ。
試しに応募の必要項目を埋め、ボタンを押した。このあと‟この内容でお間違いないですか?”とそういった確認画面が出るものと思っていたが、出てきたのは‟送信しました”の文字。直で送信されるタイプだった。これは事故だ…。
そんなこんなで私のニート生活は終わった。
ここだけの話、
親や周りの環境さえ許してくれるのならニート生活はしても良いと思う。
その根拠はまた今度、気が向いたら書こうと思う。
年の瀬だからって今までの自分の振り返りがしたくなってみたものの、10年前からの振り返りは流石に長すぎよな~。それではよいお年を~~~。
2022.12.28 シイラキ
2022.12.07(水) 『モチベーションの話』
『何をモチベーションに絵を描き続けているのか』と直接問われる機会があったので、その事について考えてみた。
絵は時間をかけて頑張ったからと言って評価されるものではない。
作品を見た人が基準にする感覚はまず「好き」か「嫌い」かというものだと思う。
でも評価というものが「好き」か「嫌い」かの二通りという訳でもないように感じる。
好き嫌いやそれ以外の感覚の琴線に触れたとき、私は間接的にその人の心に触れたという事にもなると思うし、逆にその人は私の心の琴線に触れたことにもなると思う。それは『共感』に繋がるものであると信じたい。
簡潔に言えばただただ感覚的な共感者が欲しい。
その手法が絵だったというだけの話。
思い返せば他者とはズレた人間だった。成長するにつれて漠然とそれじゃ駄目なんだと思うようになった。なんとなく心の薄暗い部分にそのズレを隠すようになった。自分の劣っている部分として。
個性になりうるほどの圧倒的な差でもないその些細なズレは、多様化が進む現代でも「生きやすさ」と天秤にかけて隠している人は多いんじゃないだろうか?
その生き方が悪いと言いたいわけじゃない。
現実社会では私もそうしている。隠せているかわからないが隠しているつもりだ。
ただ、感覚的に共感してくれた人が一日の終わりにあ~疲れたと言いながらSNSを見て、またこいつよく分からん絵を描いてるわハハハとほんの少し安心してもらえたら嬉しい。
私も安心がしたい。
2022.12.07 シイラキ